2021.01はてなブログに引っ越しました
建築家/中山繁信一期一会物語?
つづき
その③
①②は↓
大学2年に中山先生の設計事務所で
バイトという名の社会勉強をはじめ
アメフトのマネージャーも邁進しながら
無事卒業
はてさて就職は?
そこに立ちはだかったのが
鬼婆
もとい
母
なんだか
自由なんだか放任なんだか躾キビシなんだか
子どもの幸せを願って願って
時に願いすぎてオモイゼの
母
その母が
就職を機に立ちはだかった
山梨から鬼の形相で
みえませんでしたが
東京での就職は許しません
就職は絶対に山梨で
・・・
・・・
・・・
数か月
抗争をくり広げましたが
とにかく母の信念は娘の幸せを願ってのため
これはダメ
かなわんのです
そこでワタシ就職は山梨にかえる
ココに絶対条件をつけた
3年間仕事して
それでも東京の設計事務所で仕事をしたくて
その職場があった場合
その時は東京へいく!
その条件つきなら帰る、と
条件付きで山梨の設計事務所へ就職
引越の段ボールは
一切荷解きせず山積みのまま
まあ
場所は山梨とはいえ
じっくり選んだ設計事務所
それはそれはタノシイ仕事でした
が
虎視眈々と
3年のお勤め後計画も練り練り
練り練りの一環が
中山先生が講師をされていた日大の住居系
(今の居住空間デザインコース)での
設計課題授業への自由訪問
やら
その頃
入所したいと熱望していた
中村好文さん事務所
レミングハウス訪問
数か月に一度お休みをいただいて
社会勉強に繰り出していた
日大の授業は素敵な先生ばかりで
シアワセな環境だなぁとオモッタこと
よく覚えている
何より全く関係ない設計事務所に勤める女子が
授業に交じってやいのやいのやっている時点で
超自由
中山先生も中村好文さんも講師だった
その後、一緒に調査という名の
ネパールへの旅でご一緒することになる
建築家/杉浦伝宗さんも講師としていらした
山梨の設計事務所で勉強させていただきながら
社会勉強しながらついに約束の3年目
その頃も頻繁に中山先生の事務所に訪れて
考えて
考えて
考えていた
そして
動き出した1歩
それが
藝大大学院受験
しかし散った
( ゚Д゚)
その年は夏に1級建築士の筆記試験も受けていて
合格していた
藝大の大学院試験が秋
1級建築士の実技試験が冬
イッキに切り替えてこうなったら意地でも
1級建築士の実技試験を合格だ!と
急いで通信教育に申し込み
1か月半くらいでなんとか合格にこぎつけたっけ
藝大不合格くやしさからの合格だったわね( ゚Д゚)
こうして3年が過ぎてしまった
心は東京の設計事務所から大学院へシフトしている
そこで
大学の研究室の荻原先生に相談にうかがった
そこで
筑波大学という助言をいただいた
そして次の年の秋は
筑波大学大学院を受験
この準備が大変だった
面接用に持ち込む卒業設計の模型の修復
これは大学の後輩がやってくれていた
模型は巨大
しかも
山梨の事務所には受験当日風邪をひいて
休むことになっているため
受験前夜山梨マイカー出発
マイカー?
これが恐ろしかった
東京で初めて高速に乗る
中央道→首都高→常磐道
首都高?
走れる気がしないと
中山先生に相談したところ
大学は新宿
中央道を降りて
新宿で巨大模型を受け取ったら
先生が近くまで来てくださる?
だったか
そこから中山先生が運転してくださり
つくばに向かうための常磐道に向かいやすく
複雑な首都高は回避したところまで
先生が下道でいってくださり
平井大橋だったか?
そこで先生とはサヨウナラ
そこからワタシが運転してつくばへ
( ゚Д゚)
どれだけお世話になっているのか
先生に
お父さんか
親戚のおじさんか
そして
無事合格
山梨の設計事務所4年目の秋に
風邪をひいて?おやすみした日
また人生がうごいた
続きはまた!
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