語らない娘の話
g3です。
ひとり設計事務所を営みます。
高1娘の高校吹奏楽部について
①②とかいてまいりました。⤵
本日の③はコンクールの日!
1. 高校吹奏楽コンクールA組
彼女の目標であった
高校でも
皆でコンクールの1回目!
正直なところ
7月後半までは
合奏の音に???がとんで
帰宅後の部活報告も
あぁでもないこうでもない
あれがどうした
これがどうした
と
そんな娘に母は
いやいやひとの何かにうにゃうにゃ言ってないで
自分の静まり返った中での
コンガのムースコールを百発百中にすることに
集中してくださいましと
お茶をにごしたり?
でしたが
7月末になると
様子がかわり
毎日
その日の合奏の録音を
夜に何度も振り返るという
中学時代と変わらぬコンクール前の姿の復活
そして
合宿から帰宅した娘は
すっかり
○○高吹奏楽部最高!
と
強豪校でもない
堂々と銅の吹奏楽部にすっかり虜
そして
コンクール当日
それは
これまでのコンクールとは別モノ
楽しみな場所にでかける娘の姿でした。
⤴①にかいた通り
緊張なし
前髪あり
楽しみでしかないわっと
それでも
母はムースコールが心配でしたから
緊張はしましたよ。
けれど
静まり返った中で
ムースコールも聞こえ
母も
小さく
ガッツポーズ
なかなかいいじゃなーい!って
課題曲自由曲の演奏を聞きました。
母の耳には正直
これは銀?と思いましたけど
今年も
堂々の銅!
その結果を知ったのは
⤵
2. コンクールの夜の懇親会
夜は外部講師先生方と保護者との懇親会でした。
席はくじ引きでしたが
偶然
隣は講師先生席というお席の母
前半のお隣は
鍵盤専門打楽器先生でした。
色んな話を先生と!
それでわかったこと
高1娘は
母の教えを守りすぎていた!
というのも
実力は背中で示す
みたいな???
なんていうんでしょ
いや
語らんでも
やりゃあ、自ずとわかるっしょ。
あ、わたし
あれも、これも、できますよ
きいてきいてぇ
みたいなの、ダッサイ!
って
小さい頃から
言い過ぎた???
と
母
若干
反省
の
鍵盤打楽器講師先生との時間・・・
先生が
何か
奥歯にものが挟まった風で
母に聞きました。
⤵
えーっと
娘さん
鍵盤の4本持ち
出来ますか???
母
⤵
あ、はいぃ。
先生
⤵
安堵の表情で
あ、そうですか、よかった
アンサンブルコンテストで
どこから教えようかな・・と思っていたので
娘さんの鍵盤
みたことなくって・・・
と
母
⤵
あ、
人生ほぼ鍵盤でした・・・
コンクールなら鍵盤
文化祭ならドラム
そんな感じでしょうか・・・
それから
鍵盤は
小学校の頃は
○○先生から教えていただいておりました。
先生
⤵
え、
○○先生ですか。
そうですかぁぁぁ。
彼女、何も語らないので・・・。
僕が○○を教えた時も
思うところがあったらしく
?が沢山とんでいるのだけはわかるのですが
何も語らないので・・・。
と
・・・
母⤴これ、聞いてました。
技術的な話で
彼女も吹奏楽8年目。
いつもの楽器で技術的に
叩き方が違うとなって???がとんだ
その日に聞きました。
なんてったって
小学校の頃から
自分がへぇって思った授業を
こちらが面白いとかどうとか関係なく
一人語り続ける娘ですから
8年目の真実???は
母に語るしかなかったはず・・
まぁ
それに限らず
打楽器先生に
今日は
こんな指導をうけた
今日は
あんな指導をうけた
もう一人の打楽器先生から
こんな指導をうけた
と
それは
それは
この短い数か月で
打楽器先生×2からのご指導が
既に
わたしは
ここで彼らに指導を受けられて
最高に幸せ!!!と
あふれる気持ちであることを
母は知っています。
そして
打楽器先生が最後に
娘について
語ってくださった言葉
⤵
彼女はここにきて
生まれ変わると思います。
僕はここにきて
よかったと思います。
と
先生からのこの言葉は
母からのこんな話に
お答えくださったものでした。
⤵
母からみると
娘は技術的な話はわかりませんが
体で自由に演奏することが
苦手にみえます。
今日の打楽器の先輩方、とても素敵でした。
なんて話に先生から
⤵
彼女はそれをここに学びにきたのかもしれません。
そして
きっと
生まれ変わる
と
おっしゃいました。
母は
心で
娘に
娘よ!
最高だね!
って叫びました。
今日はここまで。
次回は
指揮先生とのお話です。
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